まぁ、なんというタイトル(笑)
先週のレッスン時に生徒さんに、このような問いかけをしました。
「地球上でたった一人しか生き残れないとしたら、生き残ることを選びますか?」
なんという質問なんだよ年始そうそう!(笑)って感じですよね。(笑)
みなさんから「1人だと寂しくなりそう」「一人になってまで生きたいと思わないかも」等々という声があがりました。そして、遠慮しながらも、全員が1人を選ばないと結果でした。
どんな選択も正解・不正解はありませんが、皆様の今の選択はそうでました。
という、私も今はその選択です。
ただ、もしたった1人で生きることになった時に、私はどんな目的で生きるのだろうかとふと思ったんです。きっと、そうであっても目的は一緒なのですが、果たして、一人りでこの目的は叶うものなのだろうか。という疑問が湧く。で、一旦、ここで想像をストップ(笑)
では、少し言い換えて、今の現状を
「地球上に私一人だけが存在しているのではない」という表現にすると
単純に
話してくれる人がいる
困ったときに助けてくれる人がいる
一緒に笑ってくれる人がいる
ただ隣に座ってくれている人がいる
ただ居てくれている
それだけで「安心」します。
地球上で一人ではない。
もしも、もしも
寝て起きたら、知らない無人島にポツリ。ここどこ?誰もいない。動物もいない。彷徨いまくる。一日中。誰もいないよぉーーーーーと絶望の中、遠くのほうに人影が。どうです?その人がどんなに嫌な人でも、気が合わない人でも、居てくれてる人がいると感じた瞬間、「安心」が生まれますよね。どんな人かなんてどーーーーでもいいですよね。ちょっと、究極的な例えですが(笑)
安心感
この安心ってどこから来るんでしょう。きっと外を通して「自分の存在」を知ることができるというのが一つあるのでしょうね。
言い換えたら、あなたがいて、わたしがいる。ということ。お陰様ということ。
全てはお陰様。
人生でいろんな体験(感情面含め)を積んでいますが、その体験は、目の前の人がいてくれるから。人生の体験は、縁から起きる。
これが縁起です。
自分にとって嫌だなと思う人を無理に好きになる必要はない。自分が「嫌い」を選択しているだけ。一方で、その感情を選択した自分の中に「気づき」を得たならば、その相手は、自分に「気づき」を起こすために演じた役者の1人の存在。
結局、なにを選択しても自由。故に、自分の責任。
自分の人生のハンドルは自分しか握れないようになっているのでは。
「気づく」練習はヨガ。呼吸法、瞑想。
ともに、自分の人生を一歩づつ歩みましょう!