いつも変化をしているのだけど、いつも気づくとは限らない。それでいい。と、いうより、今はそれでいいとするしか他ない。今の「意識」だから。
ヨガの練習で、リラックスを見つめるのだけど、リラックスが完璧だと仮定したとしても、リラックしていないことを知っているから、リラックスを知れる。相対性。陰陽。この地球。
リラックスを知ろうとか、リラックスを目指そうとか、本当のリラックスを望もうとかより、そのままの自分が何を感じているかだけで十分。
動きを知るが故、静寂を知る…相対的
ただ、それを超えるものがあるのだろう。相対的なものを超えるもの。それをアインシュタインが数字では表せなかったと言っているところだと私は感じている。
まずは
自身の親になり。
自身の理解者になり。
自身を育てる者に。
そして、
自身が自身の手によるものであり、
自身の手ではないものであり、
有であり無であり
無であり有である
相対的な表現ではできないところ
自由意志があり、自由意志はない。
どちらも同じ。ワンネス。
自身にべったりとする自真(自身)を、真心からみて、慈心が芽生え、慈しみの種が元々備えられていることを知る。 ヨガのプラクティス(道)は人の数。
本来の「自分らしさ」は、その自真・慈心・自神・慈真=真我…アートマン
人があるから 道がある 人の数ほど 道がある
でも、私はまだ知らない。
では❗️
quelle yoga izumi