音楽家は、音が向こうからやってくるという
登山家は、山が向こうからやってくるという
自分から行こうとすると、それしか見えなくなってしまう。
だからゴール設定は大切だが、淡々と「今に在り」目の前のことや与えられたことをやる。
ヨガは「アビアーサ」「ヴァイラギャ」という、2つの柱ともいうべき大切なことを伝えている。
それは、「離欲」と「修習」
結果を求めず 絶え間なく 真剣に 続ける
聖典には、この二つの言葉はシンプルな解説となっているが、それは、言葉をこの人生でそれぞれが体験していくことに意味があるのだからだと 私は思っている
今日の午前中に 山を登りながら 一歩の歩みと 踏む土 を感じながら
日々、出会う人、起こる事、をどんな風に感じて、どう受け入れ、どう行動していくか
と、全く同じだなって思いながら、山ハイクしました。「ここに在る」を継続しなが、状況や環境にどう感じ、受け止め、受け入れ、ながらも、ゴールはみている。
これは私の感覚ですから、スルーして欲しいですが、
ゴールへの意思や意欲のエネルギーが女性性
このために行動(山でいう、一歩一歩の歩みや、行き方を考えることなど)は男性性
と感じながら、
継続、淡々と、とは、ゴールは何か❓どこへ向かおうとしているのか。への継続的な意識と、ゴールが少しでも分かっていれば、そこへ向けて「今の目の前のこと」を淡々とやっていく。大切なのは、ゴールへの意欲。それがあれば、あとはそれに必要なことで今できることを淡々とするのみ。それが、「今」に在り、「今」を生きること。成果は求めないとヨガで教えられるのは、執着をすて「今」にいることの大切さを教えてくれているのではと感じます。
これは、私が思っていることですので、これが正しいというものではなく、是非スルーしてください。
山ハイクで、山が向こうからやってくる。その感覚に今日はなりました。一歩、また一歩。淡々と。
自然が見せてくれる世界は、自分にとって決して気持ちいいもの、快適なものばかりではなく、厳しさを教えてくれます。人生も同じではないでしょうか。どんな風に感じ、受け止め、受け入れ、どうしたいのか。それでも先へ行きたいのか。引き返すのか。ゴールを見直すのか。立ち止まる時なのか。エネルギーチャージの時なのか。人間に1日のサイクルがあるように、人生にもサイクルがある。
さて、今夜もレッスンです。
今日は、賑やかなレッスンになりそうです♪
では❗️


QUELLE YOGA IZUMI