昨日からのつづき、、
お寺に着いて、門をくぐってすぐのところにあるお手洗いに寄りました。
いわゆる屋外にあるお手洗いですね。入って驚いたのは、、行き届くお心でした。
細部まで、行きわたるお心。お心は、おもてなしであり、敬いであり、慈愛。
私がここで使う「お心」とは、感情ではなく、思考でもなく、ピュアマインド。
その細部に行き渡るものを感じながら、御祈祷の受付に進みました。
御祈祷が無事に済み、その後「点心」と言われる、軽食を頂きました。軽食というより、立派な精進料理です。どうしてでしょうかね、、感謝という気持ちが湧き上がります。いろんな方の手と自然が与えてくれる料理が自身の身になる。自分が自分を作っている(ある意味で)のも事実ですが、自分は自分以外から作られているのも事実。それでも、料理を頂いている間は、与えられ生かされているという、感謝で満たされました。
心が洗われるとは、、自身が余計なもの(自我)を放棄した時に、感じるのですよね。
ヨガの教えには「所有しない」という教えがあります。
ヤマ・ニヤマ(八支則)のアパリグラハです。
感謝の気持ちが薄れたなと感じたら、心を洗い行けばいいんだ。実感しました。そして、心を洗いにいける場所があるというのは、有難いことですね。日本はいいところです。
つづく
quelle ヨガ izumi