わたし達は、全てに共通するものが在る。それらが交わされる時、奥深くがくつろぐのだと思う。だから、その在るところから発する言葉は、違う肉体へのそのあるところへと伝わり響く。振動し共鳴する。本当のコミュニケーションとは、それを意味するのだろう。そのあるところとは、誰もが持つ魂でなないだろうか。自我をも超えるコミュニケーションは、ただ純粋。理由もなく、理屈もなく、即伝わる。
だから、わたしは願う。
わたしという存在がただ純粋でありたい。
だから、ヨガをしている。
今朝、ある神社へ行った。日常の中の「真剣さ」というものですら与えられたものかもしれない。祈りへの真剣さ。
ヨガスートラでは、アビヤーサ,ヴァイラギャという教えがある。修習,離欲。
修習とは、絶え間なく且つ真剣さを持ち、続けていく事。
力強い言葉だが、母の様な愛を感じる。
自身の女性性を育むことでもあるのかなと。
ブログは、わたしの感想でもあるので、サラッと読んで下さるとよいなと^_^
皆様は皆様の思う事、感じることを大切にしてくださればと(^^)
では!